ジムチョーの紹介
本名:石黒良祐(いしぐろ りょうすけ)
ニックネーム
ジムチョー、石ちゃん、りょうちゃん、ミスター自画自賛、ちゃびん
口癖
うるせぇ、ええんちゃう、オレはええねん、仕方ないやん、なんじゃ
経歴
1979年、生まれて最初にしゃべった言葉は「オギャー」
幼稚園時代
必殺仕事人のモノマネをして幼稚園の先生が笑った。
生きる道はこれだと決意する。
小学生時代
学校の先生のみならず同級生をネタにして嫌われ者になる
中学生時代
裸になって安易な笑いを取るようになる
高校生時代
プロレスラーのモノマネで教室の後ろで数人のスターになる
大学生時代
合コンで自己紹介をしていたら、目の前の女性たちがメニューを見ている。
あれ?僕は声を発していないのかと友人に聞くと声は聞こえてる。聞く必要ないって思われてんねんと言われる。
無視されたことで、自分がモテない見た目であることを自覚
どうしたら話を聞いてもらえるのかを模索
しゃべらないとダメだと必死に磨き、そこそこウケるようになる
ウケる=モテると勘違いをして、必死にしゃべるが電話番号を交換することはなかった。
なんで、ウケたのに番号教えてくれんのじゃ!!って叫ぶと。
女の子から「男のおしゃべりはみっともない。」と言われ努力を全否定される。
モテることなく大学時代を終える。
ただ、この時代のおしゃべりが大きな糧となる。
社会人時代
印刷会社に就職し、半同棲していた彼女にプロポーズ。
頭が悪い人と一緒にいるのがつらいからと断られる。
このままだとアホ過ぎて生きていけない、FP三級を取れと言われたので。
「FP取れば結婚してくれるんだ。」と勘違いをして必死に勉強。
合格したので、プロポーズ。
これであんたは生きていけると追い出される。
この時に会社を退職。
そこから二級、宅建と取り再度プロポーズ。
結果メールアドレスを変えられ。
「あ、ふられてたんだ。」と気がつく。
二度目の大学時代、自営業時代
FPの相談やホームページの作成、アパート経営をしながら看護大学に通う。
10歳も離れていてさらに女の子ばかり。
グループワークで僕がはいると「ハズレ」と言われる日々。
おじさんだからかなって思っていたけど。
後から聞いたら、僕の態度が悪かったことが判明。お詫びしました。
FPを取ったことで勉強会の誘いを受けて、興味本位で参加してみた。
大人が仕事が終わった後に勉強していることに衝撃を受ける。
そして、知るっておもしろい。勉強ってステキって実感する。
根っからのお調子者だったので、とてもよくしてもらった。
会社経営時代
看護師・保健師になったので看護師になろうとすると
兄でもある院長から「お前みたいなやつは、病院には合わん。起業しろ。」
と言われ、自営業から法人化する。
この法人化する時にお世話になった先生とは運命的な再開を果たす。
副業相談、ホームページ作成、ブログ作成、動画編集、婚活パーティーの司会。
簡単にいうと、なんでもやっていた。
大学の時に合コンで鍛えたおしゃべりが話術と評価され、頭のいい大人の方々からおもしろいと言われる。
でも、やはり男のおしゃべりは女性受けは悪く別の女性へのプロポーズに失敗する。
みやこ内科クリニック事務長就任
会社経営は続けながら、兄とともに医療で貢献するためにはと模索
というより、兄がほぼ一人で模索しているのを横で応援しているだけ。
働く世代・育児世代に優しいクリニックが必要だ。
ということでみやこ内科クリニックの準備に入る。
「早朝・日曜祝日診療だけでも他にないのに。個室で、診療・処方・会計まで全て行うなんて前例がない。」
という理由で相手にされず。
仕方ないから院長と自分の二人で開業準備。
いろんな人のおかげで2017年2月26日に開院。
同時に日本で一番おしゃべりな事務長が誕生。
現在は、戦力外と見なされジムチョーと言われる。
主な仕事は「買い物」と「外の掃除」
ジムチョーの日記目次
2、ビジネスプランコンテストでグランプリ発表の裏で起こっていたこと
3、今だから話せるアナザーストーリー くそ忙しいって言いながら合コンには行っていた
6、僕は子どもにきつい。それには大学時代のわがままな友人の教えがある
9、問診表を導入する
16、控えめな人には積極的に話しかけよう。意外な才能を持っている
17、事業を起こして挑戦するための心構え。最後はアドリブだ。
19、一年前と現在を比べてみた
20、JAで見た仁義なき戦い
22、戻るならいつに戻りたい?
28、日曜日外で話していたこと
30、あれから一年、まだ言う
31、イオンで親子に驚かれる。自分がどこにいるのかわからなくなっている。
34、わしゃ子どもかって話
37、朝活@NGOに参加して
40、みやこの引きの強さ